北海道大学と三菱総研DCSが取り組む
スペクトルデータを用いたスマート農業実現に向けた産学共同研究
2022.12.21
- データ活用・アナリティクス
- 教育機関
- データ利活用

世界的な食糧危機が懸念される一方、担い手の減少や高齢化など、労働力不足が深刻な問題となっている農業分野。その解決を目指しロボット、AI、IoTなどの先端技術を活用する「スマート農業」が注目を集めています。
その中で従来の課題を払しょくし、画期的な成果が期待されるのが、北海道大学で行われている超小型人工衛星により宇宙から地上の農作物のスペクトルデータを測定、解析する研究です。
三菱総研DCS(以下、DCS)は、累計50社以上のデータ分析業務支援で得たデータ解析・AI技術のノウハウを活かし協力。産学共同研究を行っています。
北海道大学の専門知識や研究ノウハウと、DCSのAI技術とデータ解析の強みを掛け合わせ、産業適用可能な水準でのスペクトルデータ活用を可能にすることが、本共同研究の狙いです。本稿では、その取り組みについての詳細をご紹介します。

<共同研究概要>
- 期間 :2021年10月~(継続中)
- 共同研究テーマ:産業適用可能な水準でのスペクトルデータ活用の実現
- DCSの役割 :スペクトルデータの提供を受け、外部要因がデータに及ぼす影響を調査、
農作物ごとの有効な波長を特定することでソリューションの効率化に貢献する
共同研究の背景
超小型衛星によるリモートセンシングで地球規模の課題解決に挑む北海道大学

地球惑星科学部門 宇宙惑星科学分野
国立大学法人北海道大学 創成研究機構
宇宙ミッションセンター センター長
教授 高橋 幸弘氏
(公益財団法人 日本地球惑星科学連合 代表理事)
北海道大学の高橋幸弘教授は、
「私たちの取り組みは、リモートセンシング(遠隔探査)を用いて地球規模の課題解決を目指すというもの。防災や環境問題、農林水産業に貢献できるよう、その精度を高めたい。そしてもう一つの目標が、開発費を安くすること。途上国にも手が伸びる、宇宙開発の手法を追求しています。」と語ります。

その主役となるのが、超小型人工衛星です。約50kgと通常衛星の1/10程度、開発費も打ち上げ費用込みで6億円と、従来の100分の1を実現しました。
「打ち上げた後の地上からの操作も、ネットに繋がったパソコンさえあれば、成熟した技術者は自在に衛星制御を行うことが可能です。将来的には自動化を進め、ある程度の訓練をすれば誰でも安全に衛星運用できる体制を築きたいと考えています。」(高橋教授)
オーロラや雷の観測に始まり、大気中の水蒸気量分布の把握が地球温暖化にも絡むゲリラ豪雨などの予測のカギであると研究を続けていた高橋教授は、超小型人工衛星が持つ「ターゲットポインティング」を活用したソリューションとして、スペクトル測定による農業分野への適用に着目しました。 ターゲットポインティングは、見たいときに見たい方向にカメラを向けることが可能なため、リクエストされたところだけをピンポイントで観測しデータ量を最小に抑え、効率よくデータ収集できる利点があります。
衛星からの「スペクトル」測定で実現を目指す
ローコスト・オンデマンドなスマート農業
「スペクトル」とは、色(光の波長)ごとの光強度の分布です。人の目よりも広い範囲の波長を時間的空間的に詳細に測定することで、時期ごとの作物の状態やその変化などが捉えられ、熟練者のノウハウを超えた、さまざまな「気づき」がもたらされます。
例えば「ある農作物の生育状況を把握したい」「病害虫の発生有無を検出したい」といった特定の目的で活用する場合、その判別にどの波長の光(あるいは、その組み合わせ)が有効かわかれば、数を絞った特定の波長で撮像された画像のみを詳細に解析することで高い判別能力と低コストを両立させることができます。
近年ではスマート農業に人工衛星やドローンを活用するケースも増えていますが、高橋教授は本技術の差別化ポイントを、次のように説明します。
「一般的な大型の人工衛星で特定の場所を計測する場合、観測できる範囲が衛星の真下のみとなるため、1回の通過で観測できる範囲が狭く、その結果16日に1回の低頻度での観測しかできません。我々のグループが開発した超小型衛星の場合、ターゲットポインティングによって従来衛星の20倍に観測範囲が広がるため高頻度に情報収集できます。しかも開発費は100分の1なので、特定領域の観測に対するコストパフォーマンスは2,000倍にもなります。一方のドローンは、充電時間との兼ね合いで計測できる範囲が狭く、その都度現場でのオペレーションのための人件費もかかります。」


もう一つ、本研究の重要なポイントが、収集するスペクトル情報の精度です。
「従来の技術では、圃場の状況を把握するスペクトル(色)の情報が粗く、せっかくドローンを飛ばしても正しい状況がわからない。我々の超小型衛星は、適切なバンド(波長帯)を瞬時に選択する液晶波長可変フィルターを用いた超多波長スペクトルセンサを世界で初めて搭載することで、この課題を克服しています。ドローン観測においても、同種のセンサを用いて、オイルパーム圃場などで、世界初の成果をあげています。」(高橋教授)
高精度のターゲットポインティングは露光時間を長くできるので、光量の不足するスペクトル観測でも、高空間分解能を達成することができます。こうした指定された地域の詳細なスペクトル観測が可能な衛星は、我々が打ち上げた数基の衛星のみです。

高橋教授は、
「このとき大切なのは、宇宙からの観測データと照らし合わすための地上側のデータを大量に収集し、データベース=『スペクトルライブラリ』を構築すること。そのデータの解析に基づき観測波長数を絞り、またそれを衛星観測データと照合することで、衛星の基数を最小限に抑えた、効率の良い正確な状況把握が可能になります。」と語ります。
「そのために我々は、誰でも手軽に必要な情報を計測できる小型分光器*を独自開発し、それをドローンに搭載したり手持ちで計測したりして、さまざまな植物種のスペクトルデータを収集しています。この分光器も、従来機器に比べはるかに低価格。特許を取得し、これまで約100台を使って20万件以上のデータを集めています。」
- 分光器とは、光を波長毎に分けて、その光強度を測定する装置
共同研究の取り組みと成果
AIを用いた詳細なスペクトルデータ解析で、
農作物ごとの有効波長の早期特定に貢献

DCSの本田は、共同研究のきっかけを次のように話します。
「2020年11月、高橋教授の講演を拝聴し、地球規模の貢献を目指す研究のスケールの大きさに感銘を受けました。そして“AIやデータ解析をシーズとしたイノベーション創出を目指す私達DCSとの協働で、何かシナジーを生み出す事ができるのではないか”と考え、すぐにメールを送らせていただきました。当初は、農業やスペクトル分析は全くの素人である私達が、上手く協働できるのか?といった多少の不安もありましたが、高橋教授に快諾いただき、両者による取り組みが開始されました。」

データ分析エンジニア 山下加奈恵
DCSの山下は、当時の様子を次のように振り返ります。
「本田が『素晴らしい研究をしている方が北海道大学にいらっしゃる、何か役立てることはないだろうか』と熱心な口調で持ち掛けてきました。以前から農業に興味を持っていた事に加え、実際に高橋教授からお話しを伺い、社会貢献としての素晴らしさや、大きなビジョンにワクワクしました。そこから社内で有志を募り、農業リモートセンシングに関する勉強会を1年ほど重ね、公開情報や論文から市場や環境、技術の基礎知識を吸収しました。」
その後2021年秋から共同研究をスタート、北海道大学様より当領域に関する様々なナレッジトランスファーを受けつつ、DCS側では、AI・データ解析の知見とソフトウェア開発力を活かし、研究を支援してきました。

生命科学講座(物理学)
准教授 成瀬延康氏
北海道大学に在籍経験もあり、生命科学(物理学)の立場で本研究に参画する准教授の成瀬延康氏は、このデータ解析の必要性を次のように話します。
「実際に農場で採取したスペクトルデータには、さまざまな外部要因が影響を及ぼします。これを産業に適用できる水準にするためには、農作物ごとに育成段階を推定するために有効な波長を200種ほどのデータから4種ほどに絞る必要があります。なぜなら、解析のために必要なデータ量が多いと、衛星からの通信コストが非常に高額になるためです。しかしこのデータ解析作業を人手で行うと膨大な工数がかかり、現実的ではありません。そこをDCSがAIの機械学習と専門的な知見から支援いただけることで、『スペクトルライブラリ』の効率的な解析の早期充実が図れます。」

実際の研究でデータ解析を担当するDCS岡田は
「私達は、北海道の稲圃場等で計測されたデータを基に、角度・方位・天候といった計測時の外部要因がスペクトルデータに与える変化の補正や、コスト効率向上のためのスペクトル波長の絞り込み、解析の目的である米収穫量の予測などを行っています。農作物や解析目的毎にこれら手法の体系化が進めば、様々な作物の収穫量や生育状況、病害虫被害の把握等が、より正確、容易になります。」と解説する。
また「同一農作物の異なる圃場データの比較分析では、共通するノイズの存在を発見し、最終的にはノイズが分光器の構造に起因する事が判明しました。ハードウェアがデータ分析の結果に起因するような事は、ビジネスデータ中心の分析業務ではあまり無く、当共同研究ならではの経験です。」と語ります。


左:滋賀医科大学 准教授 成瀬延康氏
成瀬准教授は
「DCSはデータ解析のプロとしての精緻な分析作業を続け、これまで我々が気づかなかった特性を見つけてくれます。現状は収集したデータを基に解析する、という流れですが、このような気づきがあると、はじめからAI解析する前提でどのような機器が必要で、どういったデータを収集すればよいか、といったことを将来的に考える新たなヒントになります。これに限らず、共同研究ではソリューション実用化に向けたデータ解析の新たなテーマが次々と見つかりますので、DCSとは週次でミーティングを持ち、一つ一つ成果を積み上げています。」と、その貢献を評価します。
本研究の真の貢献と今後
1段階進んだハイレベルのAI活用で国内、世界の農業課題を解消したい
今後も共同研究を継続し、ソリューションの実用化を目指す
「現在、一般的なAIの活用法は『熟練者レベルの判断を再現する』ことですが、我々の研究は最初に取り込む色のデータを、人間の目では捉えられないくらい細かくすることで、それを超えようとする試みです。」と語る高橋教授。
そして、本研究の真の意義を次のように語ります。
「今後、日本においては農林水産省が掲げる『みどり戦略*』、有機農業推進への対応も迫られます。農薬や化学肥料の世界的な寡占化の進行も懸念されます。高齢化に伴う労働人口減少の中で、農薬や化学肥料を最小限にするには、病気や育成状況をいち早く把握して対策できる省人化、自動化の仕組みが欠かせません。北海道大学でも精密に稼働する自動トラクターの開発が進んでいますが、圃場の状態の正確な把握はまだ人手に依存しています。そうしたさまざまな課題を、このソリューションを実用化することで解消できると考えています。」(高橋教授)

そして、その視野は日本国内に留まらず、地球規模に及んでいます。
「世界には、東南アジアのオイルパーム(油椰子)プランテーションなど、ドローンではカバーしきれない超巨大なスケールの圃場がたくさんあります。その点、人工衛星は地球上のどこへでも遠隔からのPC操作でデータを取りに行ける。衛星はコストが高い、と皆さんは思われるかもしれませんが、我々の超小型人工衛星のコストパフォーマンスはドローンよりも100倍から1,000倍優れています。世界的な食糧危機が叫ばれる中、農業を支える労働者の負担を軽減して、より専門的な業務に注力する必要があり、我々の研究を1日でも早く実用化することが求められていると考えます。これからもDCSの持つAIの知見とデータ解析能力による貢献に、期待しています。」(高橋教授)
これを受けてDCSの山下は、本共同研究への参画により得たことおよび今後の取り組みについて、次のように結びました。
「当初はこれまで接点のない産業かつ専門的な知識の習得に苦労しましたが、実際に共同研究を行うと、当初想像していた以上にどんどん面白くなり、やりがいも増しています。これまで我々はさまざまな企業のデータをお預かりして解析し、AIを利活用するコンサルテーションやサービス提供を行ってきましたが、本研究に参画して、視野が大きく広がりました。AIと同じで、学習する領域を拡げていく大切さを学びました。今後も共同研究を継続し、本ソリューションの実用化に貢献していきたいと思います。」
- 『みどり戦略』:農林水産省は2021年5月12日、農業の生産力向上と持続性の両立をめざす「みどりの食料システム戦略」を策定した。2050年までに農林水産業のCo2ゼロエミッション化の実現、耕地面積に占める有機農業の取り組み面積を25%、100万haに拡大することなどの目標を掲げている。