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コラム

企業グループにおける労務リスク管理体制の構築

2021 年3 月2 日

菊池 暁雄

大阪ビジネスユニット組織人事戦略部

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社

コンサルタント菊池 暁雄

 近年、労務リスク管理の重要性はますます高まっている。特に、複数のグループ会社を抱える企業では、1社で発生したトラブルがグループ全体に波及する恐れがあり、グループ一体の労務リスク管理体制の構築が必要である。本稿では、そのような企業の課題認識や取組みについて解説を行う。
 当レポートで取り扱う「グループ」には、親会社・子会社として資本関係がある企業群のほか、メーカーとメーカーの販売店・特約店として契約を結んでいる企業群を含んでいる。(資本関係が必ずしもあるわけではない)

1. 企業グループを取り巻く現状

 企業の労務リスク管理の重要性が高まる背景には、(1)働き方の多様化、(2)キャリア志向の変化、(3)SNSの普及による影響がある。

(1)働き方の多様化

 近年、いわゆる従来型の正社員(職務、勤務地、労働時間が限定されていない無期雇用の社員)だけでなく、様々な属性(年齢・性別・国籍等)の社員が、多様な労働条件(異動有無・残業有無等)で雇用されている。
 この背景には、少子高齢化により若年層の確保が困難になりつつある事情がある。内閣府(2020)の「令和2年版高齢社会白書」によると、日本の生産年齢人口は1995年の8,716万人から2020年には7,406万人へと減少しており、今後も減少傾向が続くと予測されている。こうした中で、企業が人材確保のため、様々な属性、多様な労働条件を受け入れる必要性が生じている。
 このような「働き方の多様化」にともない、労務リスク管理の複雑化を懸念する声も根強く存在している。内閣府が実施した企業意識調査によると、多様な人材の雇用について、企業の65%は利点と課題の「双方あり」、12%は「課題のみ」あると回答しており、利点を感じている企業も多い一方で、7~8割が課題を感じている(図1)。課題の具体例としては「労務リスク管理が複雑化」と回答した企業が最も多くなっており、規模が大きい企業のほうが課題を感じやすいことが示唆される(図2)。

<図1 多様な人材の雇用に関する企業意識>

図1 多様な人材の雇用に関する企業意識

<図2 多様な人材の雇用に関する課題(従業員数別)>

図2 多様な人材の雇用に関する課題(従業員数別)

(出所)(2019)内閣府「内閣府令和元年度年次経済財政報告-「令和」新時代の日本経済-」より作成
「双方有り」は、多様な人材の雇用について利点と課題両方があると回答した企業の割合。「どちらも無し」は、利点と課題いずれについても感じないと回答した企業の割合

 こうした動向を受け、政府は「働き方の多様化」に対応した法整備を進めている。2019年4月から施行された働き方改革関連法の改正には、①時間外労働の上限規制の導入、②年次有給休暇の確実な取得、③正規・非正規雇用労働者間の不合理な待遇差の禁止等が盛り込まれた。また、2020年6月には労働施策総合推進法の改正により職場におけるパワーハラスメント防止対策の義務化(中小企業は2022年4月)と、男女雇用機会均等法・育児介護休業法改正によるセクシャルハラスメント・マタニティーハラスメント防止対策の強化がなされている。さらに、2022年4月からは高年齢者雇用安定法の改正により70歳までの就業確保の努力義務が施行される予定である。こうした、法改正がめまぐるしく実施されているため、企業は継続的に情報を把握し、対応する必要がある。

(2)従業員のキャリア志向の変化

 従業員のキャリア志向にも変化が生じている。従来のように1社でサラリーマン人生を終えるという価値観から、より高い処遇条件やスキルを得るために転職する社員を多く見かけるようになった。厚生労働省の雇用政策研究会によりまとめられた「雇用政策研究会報告書」によると、若年期に入職してそのまま同一企業に勤め続ける者(以下「生え抜き社員」)の割合は2017年時点で大卒正社員の5割程度、高卒正社員の3割程度を占めるものの、長期的には低下傾向である(図3)。一方で、転職者数は長期的には増加傾向であり、特に、1,000人以上規模の大企業における転職入職者数の伸びは顕著となっている(図4)。
 このように転職が当たり前になると、例えばパワーハラスメントや、賃金の不均衡に対する指摘など、従来は会社の一員として従業員に受容されていたことが、労務トラブルとして顕在化してくるリスクがある。その会社で将来的に得られるかもしれない便益を期待するよりも、現在果たしている役割や実力に見合った処遇を受けたいという考え方に変化するためである。年功的な運用が強い企業ほど摩擦が生じやすくなる。

<図3 生え抜き社員割合の推移>

図3 生え抜き社員割合の推移

<図4 企業規模別転職入職者数(フルタイム)の推移>

図4 企業規模別転職入職者数(フルタイム)の推移

(出所)厚生労働省雇用政策研究会(2019)「雇用政策研究会報告書」

(3)SNSの普及

 SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の普及により情報が拡散し、1つの労務トラブルが企業ブランドを大きく毀損するリスクも高まっている。特に多数のグループ会社と連携して事業を行っている企業にとっての影響は計り知れない。そのため、自社だけでなくグループ一体となって労務トラブルの発生を抑制しなければならない。大手コンビニや飲食店において、アルバイトの不適切動画がネットで拡散された事件については、このようなリスクに厳格な対応ができておらず、顕在化してしまった例と言える。

2. 企業グループが直面する課題

 高まる労務リスクに対し、グループ各社が個別に対応すると、抜け漏れや業務の重複が生じるため、グループ一体で管理体制を整備する必要がある。具体的には、(1)労働法の基礎知識の習得、(2)就業規則の整備、(3)就業規則の適切な運用、(4)情報共有体制の構築、持続的な更新、が課題として挙げられる(図5)。

<図5 労務リスク管理に対する課題>

図5 労務リスク管理に対する課題

(1)労働法の基礎知識の習得

 まず、人事担当者の労働法に関する知識は、業種や規模、経験によりばらつきがあるため、各社の人事担当者の知識を基本的水準までは引上げておきたい。労働者とのトラブルを未然に防止することを考えると、特に、労働基準法や労働契約法、男女雇用機会均等法、パートタイム有期契約労働法等の個別労働関係法に焦点あてた知識の習得が優先される。また、次の課題である就業規則の整備の際に、労働法の背景を知ったうえで修正を行うことで、より精緻で自社に合った就業規則の整備が可能となる。

(2)就業規則の整備

 次に、労務リスク管理の基本として就業規則の整備が必要である。就業規則は労使間の様々な権利義務を定めている。使用者の権利の中には規定がなければ効力が発生しないもの(懲戒権・出向命令権、時間外労働命令等)があり、規定がない場合は見直す必要がある。見直す際のポイントとして、①各社の就業規則が法令・法改正に対応し、必要記載事項を満たしているか、②トラブルから会社を守る規定となっているかどうか、を確認することが肝要である。

(3)就業規則の適切な運用

 さらに、就業規則を適切に運用できるような準備も課題である。人事担当者が就業規則の背景や意図を理解せず、トラブルが生じたときに、はじめて就業規則を確認するようでは、トラブルへの円滑な対応はなしえない。労務トラブルへの対応手順について就業規則をベースに想定していてこそ、臨機応変な対応が容易となる。この際、民法の知識(不法行為、債務不履行、損害賠償請求)も合わせて身に着けておきたい。労働法は民法の特別法という位置づけであり、民法より優先される条文が定められているが、一方で、労働法が網羅していない規定や労働法で用いられる概念および用語は、民法に記載されている。労務トラブルにおいては幅広い法律知識を押さえておくことが望ましい。

(4)情報共有体制の構築、持続的な更新

 また、持続的な対応力の維持のため、グループ内での情報共有体制の構築が必要となる。情報共有体制とはグループ内の法改定情報の共有や各社事例の蓄積を目的とした仕組みのことを指す。各社における基本的な対応は契約を結んでいる社会保険労務士や弁護士に相談することが無難と考えられるものの、業界・企業グループ特有の価値観や他社事例についてはグループ内で情報共有をすべきである。例えば、飲酒運転や業務中の居眠りに対する懲戒処分は、鉄道、バス、航空等公共交通機関のほうが、他業界よりも厳格な処分となるだろう。そのような価値観は企業のカラーが出るものであるため、労務トラブル対応への重要な判断基準となり得る。グループ内でこのような情報や事例を優先順位をつけて積み重ね、グループの価値観を形成することで、継続的な対応力の維持・向上が見込まれる。

3. 課題への取組みのポイント

 課題へ取り組む際のポイントとして、(1)経営者や人事担当者の巻き込み、(2)就業規則の共通性と独自性のバランス、(3)長期的視点による検討、(4)システムの活用の4つが挙げられる。

(1)経営者や人事担当者の巻き込み

 まず、経営者と人事担当者を如何に巻き込むかは重要な論点である。人事担当者は労働法の知識を得て、就業規則の条文を見直す役割があり、経営者はその認否を判断しなければならない。また運用においても経営者と人事担当者は法改正等の外部情報をキャッチしながら、従業員を指導し、快適な職場環境と企業秩序の維持を図らなければならない。そのため、経営者や人事担当者にもリスクを正しく認識してもらい、労務リスク管理がグループ各社の経営戦略の1つとして位置づけられるように、積極的に参画してもらうことが重要である。そのためには経営者や人事担当者への適度な情報提供と経営者同士の交流の場を設けることが有効な手段となる。

(2)就業規則の共通性と独自性のバランス

 次に、グループ各社の独自性をどの程度まで尊重するのかも論点の1つである。就業規則はグループ内で統一のものを使用した方が管理は圧倒的に楽になるが、業種その他社内事情ごとに各社を取り巻く環境は異なり、それに合わせて直面する労務リスクも異なってくる、そのような場合は各社独自の規定を残すことも必要だろう。また、就業規則には過去の労使交渉の経緯など各社の歴史が反映されているため、自社で作成した就業規則の方が感覚的に運用しやすいことも考えられる。グループの方針や風土に合わせて各様の方法でバランスを調整していくことが必要である。

(3)長期的視点による検討

 さらに、グループ一体の労務リスク管理体制の構築は、影響が長期的かつ広範囲に及ぶため、企画段階において数年先を見据えた検討が重要になる。運用を継続することにより仕組みも徐々に改善していくことが期待されるが、既存の仕組みを変更することに対する説明が求められ、不十分であると体制に対する信用の低下につながりかねない。その意味において、経験だけでなく、長期的な視点での企画を立案できる外部の専門家(コンサルタントや社会保険労務士)を選定することが無難であると考える。

(4)システムの活用

 そして、体制が整い運用が軌道に乗れば、システムの導入も検討すべきである。はじめに、グループ企業間のコミュニケーションツールを導入することが考えられる。人事担当者が掲示板やQ&Aを扱いやすくなれば、グループ会社間の垣根もより低くなる。つづいて、人事システムの見直しも検討の余地がある。特に労働時間管理は、近年法改正が多いため勤怠システムの更新も必要だ。人が介在する管理は効率が悪いだけでなく、労務トラブル発生時に正確な勤怠情報を確認し難くなる。最後に、DX、AI等最新技術活用の模索は今後も続けていくべきだろう。長時間労働の抑制のためには業務効率化や従業員マネジメントを円滑に実施し、労務トラブルが起こりにくい環境整備が必要である。

4. 事例紹介

 先進的な好事例としては、ダイハツ工業株式会社(従業員数:13,156名[2020年4月1日時点]、以下「ダイハツ工業」)の取組みが挙げられる。同社は国内50社以上の販売会社と連携し、全国に店舗網を持つ自動車メーカーである。
 ダイハツ工業は、中長期経営シナリオ「D-Challenge 2025(2017-2025)」を策定し、グループスローガン「Light you up」を指針として掲げたうえで、「モノづくり」「コトづくり」を主軸に事業を推進し、ダイハツブランドの進化を目指している(図6)。このうち、「コトづくり」については、「お客様や地域との接点拡大を主眼として、これまでの、販売会社とメーカーそれぞれの独自取り組みは継続していく一方、新たに、ダイハツグループが一体となった取り組みも開始」するとしており、その一環で、労務リスク管理を販売会社と連携して取り組む重要な課題として掲げていた。

<図6 今後のダイハツの方向性イメージ>

図6 今後のダイハツの方向性イメージ

(1)「全国労務リスク管理勉強会」の実施

 まず、ダイハツ工業は、販売会社の人事担当者向けに「全国労務リスク管理勉強会」を実施した。この全国労務リスク管理勉強会は、労務リスク管理の発展段階ごとに「基本編」、「実践編」、「総括編」、「運用編」と題して実施され、2~3年をかけて段階的なレベルアップを図った。

実施事項 内容
基本編 時代に合った労働法知識の習得
実践編 モデル就業規則を基に、各社規則の見直し
総括編 経営者向けに基本編・実践編のポイントの再確認
運用編 ケーススタディによる労務問題への対応力の向上

 勉強会は集合研修の形式で実施し、同社担当者と販売会社の人事担当者、人事担当者間相互の質疑応答や議論を大切にした。これにより労働法や就業規則の条項に対する理解だけでなく、円滑なコミュニケーションを取るためのいわゆる“共通言語”を醸成する効果があった。さらに、勉強会で人事担当者同士がディスカッションをすることで、同じ課題に取り組む仲間ができ、今後も協力していくことを確認した。
 これに並行して、「基本編」実施前および「総括編」においては、販売会社の経営者向けに労務リスク管理の意義について説明する機会を設け、各社経営者の巻込みを図った。

(2)「モデル就業規則」の整備

 次に、ダイハツ工業は勉強会に際し、販売会社向けに「モデル就業規則」を作成した。各販売会社の就業規則の抜け漏れの確認に役立ててもらうことが狙いであった。同社の特徴はモデル就業規則を作成しつつも、就業規則の改定を販売会社の自主自立としたことである。連携する販売会社は多様性に富んでおり、各社が独自の社風や文化を形成し、就業規則も特徴ある個性豊かな内容となっている。そのため、各社がモデル就業規則の良い部分を、各社で選び取り改正する方式とした。このように整備した就業規則を基にして、実際に労務トラブルが発生した場合を想定したケーススタディを実施し、スムーズな対応ができるように演習を行った。

(3)長期的な視点で継続的情報共有体制の強化

 さらに、同社は共有インフラ・ネットワーク(図7)を設け、販売会社との継続的な情報共有体制を設けた。共有インフラ・ネットワークでは、全国労務リスク管理勉強会で学習した内容の掲載はもちろんのこと、販売会社からの相談体制を強化した。また、今後は法改正情報を随時更新し、販売会社向けに更新したモデル就業規則とポイント解説資料等を掲載していく予定である。

<図7 共有インフラ・ネットワークのイメージ>

図7 共有インフラ・ネットワークのイメージ

5.最後に

 ここまで、企業を取り巻く現状や、企業グループが直面する課題、課題への取組みのポイント、先進企業事例を整理してきた。グループ一体の労務リスク管理体制構築へのニーズが高まってきており、経営者と人事担当者を巻き込みつつ、関係会社と連携し、長期的な視点で体制の構築を検討することが求められている。貴社の状況はいかがだろうか。

大阪ビジネスユニット 組織人事戦略部 コンサルタント

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社

コンサルタント菊池 暁雄

2014年10月に新卒入社。経営計画策定やビジネスモデル構築等のプロジェクトに参画した経験を経て、現在は人事制度構築や労務リスク管理等の案件を中心に、大企業から中堅中小企業まで幅広く支援している。理論と実践の両立と各社に寄り添った提案が信条。

  • 主なコンサルティング実績

    人事制度改定支援
    製造業(金属加工、食品容器、日用雑貨、化学)
    小売業・卸売業(自動車、家電、塗料、産業機械)
    金融業、建設業

    研修実施支援
    自動車メーカー
    グループ企業向け労務リスク管理講座
    運送業
    管理職の業務改善研修
    ビジネスモデル構築支援
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    海外ビジネスモデル構築支援